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2003年12月25日 発足 目次 第一回 憲法の全体構造 第二回 平和的生存権と集団的自衛権 第三回 最高法規としての憲法と改憲論議 |
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![]() ![]() 第1回 憲法の全体構造 2004年2月26日(木) 法律と憲法の違い。法律は「国家権力による強制力を持った社会規範」、平たく言うと国民を縛るものである。それが「正しい」と考えられるのは、その時代の「多数意見」の反映だから。でも人間は間違うものである。つまり多数意見が常に正しいわけではない。多数意見でも奪えない価値を守るためには、多数意見に歯止めをかけるものが必要と考えられた。これが憲法である。 つまり、憲法は国民を縛るものではなく、国家権力に歯止めをかけるものである。国民ではなく国家を縛る。だから公務員には、総理大臣を含め、憲法尊重擁護義務(憲法第99条)がある。多数意見でも奪えない価値、それが基本的人権である。 憲法の中心価値は「個人の尊重」である(憲法第13条)。そして、この「個人の尊重」には「人みな同じ」ということと、「人みな違う」ということが含まれている。違うのが当たり前であり、違いこそが価値、素晴らしいことなのだと考える。みんな違うからこそ、一人一人の価値は「平等」に扱われなければならないと説いているのだ。それぞれの違いを前提に、それぞれの幸福を追い求める権利を、すべての人が持っている。これが幸福追求権。何が幸福であるかは、一人一人が判断する、自己決定権にゆだねられている。だから幸福権ではなく、幸福追求権だ。 個人の尊重、違いの尊重、一人一人の基本的人権を大切にするためには、多数意見がそれを奪い去るようなことには歯止めをかけねばならない。他人の不幸の上に成り立つ幸福は本当の幸福ではない。無実の人の不幸の上に、他の人たちの幸福が成り立つ社会ではダメで、疑わしき人は社会に戻す、そのことによるリスクは社会全体で引き受けるという考え方である。憲法の三大原理、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は、いずれも「個人の尊重」から導かれる。 ◆第一回◆2月26日(木)15:00〜16:00◆ 会場:衆議院第二議員会館第3会議室 テーマ「憲法の全体構造 〜個の尊厳=自由主義と手段とししての民主主義〜」、 「憲法と法律の違いとは?」 第一回は院内外から数十名の参加をいただきました。 国会内からは、自民、民主、共産、社民の議員、秘書、政策担当者に参加していただきました。 第一回 憲法の全体構造 第二回 平和的生存権と集団的自衛権 第三回 最高法規としての憲法と改憲論議 第2回 平和的生存権と集団的自衛権 2004年3月3日(水) 日本国憲法の中心価値は「個人の尊重」。それが憲法第13条に「個人の尊重、生命・自由・幸福追求権の権利の尊重」として書かれている。そもそも人権は普遍的なものではなかった。常に主張すべきもの、そして追い求めるものである。憲法の三大原理の一つ、平和主義もまた「個人の尊重」を実現するための理念である。個人が真に自由な意思を持ち、自由に行動するためには、他者による威嚇があってはならない。脅されている人間は本当に自由とはいえない。だからこそ「平和的生存権」が権利として保障されていることを書き、政策としての平和ではなく、人権としての平和をうたっている。 日本国憲法前文の「平和的生存権」は、第9条の戦争放棄と第13条の個人の尊厳、幸福追求権の尊重という考え方と一緒になって、戦争の全面否定の上に成り立つ。前文第二段には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という崇高な理念が謳われている。(ただし、前文の規定に「裁判規範性」は認められないというのが、いまの一般的見解である。個別の条文と違って、国民がそれに基づいて裁判を起こしたりできないという解釈だ。) 憲法第9条の「戦争放棄」の解釈は分かれる。侵略戦争のみ放棄とする限定放棄説と、自衛戦争も放棄という全面放棄説だ。戦争や軍隊に関する規定が憲法上になく、なおかつ自衛戦争と侵略戦争の区別が困難のため、全面放棄説をとるのがこれまでの通説。 自衛権についても、自衛権そのものが放棄されている説と、留保されているという説に分かれる。留保説の中でも、自衛権は放棄していないが、それは武力によらざる自衛権であるとする「非武装自衛権説」、必要最小限度の実力による自衛権は残るとする「自衛力肯定説」、さらには自衛のためなら戦争も起こせるという「自衛戦争肯定説」がある。外交交渉や警察力、民衆の抵抗に限定する「非武装自衛権説」が憲法学界の通説だが、政府は「自衛力肯定説」をとってきた。 集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止しうる権利」で、憲法上は「自衛力肯定説」であっても許されないというのが、これまでの政府見解。つまり、これまでは政府も「必要最小限度の実力」の範囲を超えるものであり、権利はあるが使えないとしてきた。しかし今や、それを見直そうという動きも出て来た。 戦争放棄という選択には、軍事力によっては国民の生命と財産を守れないということが基礎にある。だから一国平和主義では成り立たない、世界の構造的暴力をなくすために国際貢献をし、攻められない国をつくるという、壮大な選択である。それが「国際社会において名誉ある地位を占めたい」(前文第三段)という言葉の意味である。前文と第9条に流れる、この理念を「積極的非暴力平和主義」と呼ぶ。 ◆第二回◆3月3日(水)15:00〜16:00◆ 会場:参議院会館第3会議室 テーマ「平和的生存権と集団的自衛権」 参議院第三会議室に12名の議員、過半数の秘書のご来場の上、 満員の参加をいただきました。 第一回 憲法の全体構造 第二回 平和的生存権と集団的自衛権 第三回 最高法規としての憲法と改憲論議 第3回 最高法規としての憲法と改憲論議 2004年3月9日(火) 法の支配とは、権力者の意思ではなく、あらかじめ定められた「法」によって国家統治を行うこと。したがって現在においては、立法権を含めたすべての国家権力が憲法という法に拘束されることを意味する。 これは、憲法の最高法規性、権力によって侵すことのできない普遍的な人権の保障、法の正しさを証す適正な手続きの保障、裁判所の役割重視と判断の尊重の四つによって担保される。最高法規性とは、憲法に違反する法律・政令その他の一切の法はすべて無効になるということ(憲法第98条)。公務員に「憲法尊重擁護義務」(憲法第99条)が課せられているのはそのためだ。 憲法前文には憲法の制定の由来や目的、制定権者の決意などが表明されている。その第一段で、まず「人権」と「平和」という二つの原理が目的として示され、次に「国政は国民の信託」であるという民主主義原理を述べ、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と書かれている。「憲法すら排除」とは、“根本規範”に反する憲法は認められないという“自然権思想”の現れと見ることもできる。前文に裁判規範性は認められていないが、法規範性はあるというのが、これまでの解釈。つまり前文も憲法改正手続きによらなければ改正できないし、法律や命令などを拘束する力がある。 憲法改正は第96条に規定された手続き(国会議員の3分の2以上の賛成と国民投票による過半数の賛成)によってのみ可能だ。改正については限界説と無限界説がある。憲法が人類普遍の原理と書いているような、憲法の上位に位置する根本規範の定める原理に触れるような憲法改変はできないし、改正権は制定権とは親子関係で、子が親の根本原理を変えることまではできないというのが限界説。これに対し、改正手続きさえ踏めば何でもできるというのが無限界説。限界説が一般的である。 憲法改正の意見の中に、現実との乖離という主張があるが、憲法は「理想の姿」を示すもの。理想と現実が違うのは当たり前で、その理想に向かって日々努力することを憲法は求めている。 憲法改正を考える場合の視点として、立憲主義の観点から、@国家権力に歯止めをかけるために必要か、A歯止めを緩やかにするのであれば、その代替の歯止めはあるか、という二つが重要なポイント。さらに、国民が幸せになる方向での改正なのか、具体的に誰がどのように幸せになるのかを明確にすること。そして、国民投票を実施するのであれば、まずその前に、憲法教育をあらためて徹底することが大前提となる。 ◆第三回◆3月9日(火)15:00〜17:00(ディスカッション含む)◆ 会場:衆議院第二議員会館第3会議室 テーマ「98条と改憲」、「憲法前文の意義」 参加総数:51人 議員本人 8名 (自民、民主、社民) 代理・秘書等 19名 第一回 憲法の全体構造 第二回 平和的生存権と集団的自衛権 第三回 最高法規としての憲法と改憲論議 |
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文責:竹村英明 | |